崖の上に立つその姿を見たとき、
人はもう、それを一人の武将とは呼べなかった。
風を受けながら見下ろす武田信玄の背には、
山そのもののような重みがあった。
崖の下には、武田家の兵たちがずらりと並び、
息をひそめるように主の動きを待っている。
やがて武田信玄は、静かに軍配を持つ手を持ち上げ、
織田家の方角へと高く掲げた。
そのしぐさは大きくない。
なのに、その一瞬だけで空気が変わった。
まるで天が意志を示したように、
崖の下の兵たちは一斉に吠えた。
それは人の声というより、
野を駆ける野獣たちの咆哮に近かった。
大地を揺らし、空へ突き上げるような雄叫びが、
武田の軍勢をひとつの生き物のように変えていく。
その中心にいる武田信玄は、
もはやただ命令を下す将ではない。
兵の心を燃やし、恐れを力に変え、
戦そのものを支配する神のような存在だった。
もしも武田信玄を神格化したら、
きっとこんな光景になるのだと思う。
軍配ひとつで軍勢が牙をむき、
その背中ひとつで兵たちが奮い立つ。
人の姿をしていながら、
そこにいたのはまさに、戦を司る神そのものだった。
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