2026年2月25日水曜日

もしも世界が静寂で満ちていたら

もしも世界が静寂で満ちていたら、耳に届くのは自分の呼吸と心臓の鼓動だけになるだろう。
街のざわめきも、車の音も、誰かの話し声も、すべて消えてしまった世界。

最初は寂しさに息が詰まるかもしれない。
音がないことは、思考を剥き出しにして、心の奥まで響いてくる。
自分の内側にいる自分と、向き合わざるを得なくなる。

でも、やがて静寂は優しさに変わるかもしれない。
風の揺れる木の葉の感触、日の光の温かさ、遠くの山の輪郭。
言葉がなくても、世界はそれだけで語りかけてくる。

人と人の距離も、少しだけ近くなるだろう。
声で伝えなくても、視線や仕草で、互いの存在を感じられる。
触れること、感じること、ただそれだけで十分になる世界。

静寂は孤独でもあるが、同時に自由でもある。
思考は羽を得て、心は軽く、時間はゆっくりと流れる。
誰も急かさず、誰も遮らず、ただ存在することが許される。

もしも世界が静寂で満ちていたら、私は今日も、
呼吸のリズムに身を委ね、光と影の間をゆっくりと歩くだろう。
音のない世界の豊かさを、静かに味わいながら。

もしも忘れ物を取り戻せるなら

もしも忘れ物を取り戻せるなら、私はどの瞬間に戻るだろうか。
落とした小さな物か、大切な言葉か、あるいは失くした時間そのものか。

あの時、手を伸ばせば届いたかもしれないもの。
でも、現実ではただ遠くに消えていくのを見送るしかなかった。
もしも取り戻せるなら、あの瞬間をもう一度、そっと抱きしめたい。

忘れ物は物だけではない。
思い出の断片、言えなかった言葉、あやまちも含まれる。
取り戻せるなら、後悔を少しだけ和らげ、笑いに変えることもできるかもしれない。

でも、忘れたことがあるから、今の私がいるのも確かだ。
取り戻せば、今の景色は変わってしまう。
失くしたものを追いかけることは、同時に、手にしているものを置き去りにすることになるかもしれない。

それでも、もしも忘れ物を取り戻せるなら、
私は静かにあの日の自分に手を伸ばすだろう。
言葉をひとつ渡し、微笑みを交わし、そしてそっと別れる。

忘れ物は、取り戻すことだけが答えではない。
けれど、取り戻せるなら、私は今日も少しだけ、過去の自分に触れてみたいと思う。

もしも声がすべて届くなら

もしも声がすべて届くなら、誰もが孤独を感じることはなくなるだろうか。
小さなつぶやきも、心の奥底で思うことも、遠くの誰かの耳まで届く世界。

伝えたい言葉は、もう消えることなく、空を渡って相手に届く。
「ありがとう」も、「ごめんね」も、「大好き」も、見逃されることはない。
その分、嘘や誤解も、覆い隠せないかもしれない。

誰かの悲しみや怒りも、声に乗って届く。
聞きたくなかった感情も、無意識の叫びも、知らず知らずのうちに心に触れる。
世界は透明になるかもしれない。

でも、もしすべての声が届くなら、人はもっと慎重に、
そしてもっと丁寧に言葉を選ぶようになるだろう。
空に響く声の一つ一つが、宝物にも、刃にもなることを知るから。

届く声が多いほど、私たちは互いの存在を意識する。
誰かの小さな声にも耳を傾け、世界の隅々に気持ちを届けようとする。
声が届くことは、ただの情報のやり取りではなく、心の繋がりになる。

もしも声がすべて届くなら、私は今日も、静かに、自分の思いを紡ぐだろう。
届くかどうかはわからないけれど、それでも声を出す意味を、少しだけ信じて。

もしも眠らなくてもよくなったら

もしも眠らなくてもよくなったら、夜は誰かと分かち合う時間になるだろうか。
静かな街の灯りの中、誰もが目を覚まし、世界は昼の延長のように続く。

眠らなくてもいいということは、時間が無限に広がるということでもある。
本を読み、音楽を聴き、絵を描き、ただ思いにふける。
昨日の後悔も、明日の不安も、少しだけ置いておける。

でも、眠らない夜は、孤独もまた増すかもしれない。
夢の中でしか会えなかった景色や人は、覚めたままの目の前には現れない。
心は静かでも、世界は止まらず、誰もが歩き続ける。

それでも、眠らなくてもよくなったら、私は夜空をじっと見上げるだろう。
星の瞬きや風の匂い、遠くの街の光に目を凝らし、世界の微細な動きを感じる。
眠る代わりに、時間は私に広がる海のようにゆっくりと流れる。

そして、眠らなくてもいいという自由は、選ぶものを増やすだけではなく、
自分と向き合う時間も増やしてくれるのだと気づく。
夜はただ長くなるのではなく、深くなる。

もしも眠らなくてもよくなったら、私は今日も、長い夜の中で、
小さな発見や静かな喜びを、ひとつずつ拾い集めていくのだろう。

もしも空に道があったら

もしも空に道があったら、私たちはどこへ向かうのだろうか。
ビルの谷間を抜け、山の上を滑るように走る道。
地面の道とは違い、重力に縛られない自由がそこにはある。

空に道があるというだけで、日常は少し奇跡的になる。
朝の通勤も、ただの移動ではなく、雲の上を漂う旅になる。
街のざわめきは遠くに小さく、風だけが耳に届く。

道の上で出会う人もいるだろう。
互いに手を振り、笑い、時には立ち止まり空を見上げる。
言葉がなくても、ただ一緒に流れる時間が心をつなぐ。

でも、空に道があるということは、迷うことも増えるかもしれない。
行き先もないまま、雲の海に漂うかもしれない。
地図も、信号も、道しるべもない。

それでも、人はきっと歩くだろう。
地上では見えなかった景色、触れられなかった風、感じられなかった光に導かれて。
道の先に何があるのかは、誰にもわからない。

空に道があったら、世界はもっと広く、もっと自由で、
少しだけ怖くて、でも胸が高鳴る場所になるのだろう。

そして私たちは今日も、想像の翼を広げ、空の道をそっと歩く。
行き先はまだ知らないけれど、それでいいのだと思える。

もしも言葉が消えた世界になったら

もしも言葉が消えたら、世界はどんな風景になるのだろうか。
朝のニュースも、友人との会話も、ただの音や光の連なりに変わるのだろうか。
誰かが笑っていても、それが何に対する笑いなのか、もう伝わらない。

文字も消える。書き置きも、本も、スマホのメッセージも意味を持たなくなる。
誰かが心に抱く感情も、ただの波として漂うだけで、それを形にする手段は失われる。
世界は静かになるかもしれない。しかし同時に、意味の迷子が増える。

絵や音楽はどうだろう。言葉がなくても、感覚や感情は残るはずだ。
目で見て、耳で聞く。体で感じる。言葉のない世界では、それが唯一のコミュニケーションになる。
ただ、誤解も増えるかもしれない。笑顔は喜びか、それとも皮肉か。涙は悲しみか、それとも解放か。

もしかすると、言葉が消えたことで、人はより丁寧に世界を観察するようになるかもしれない。
声に出さず、文字にせずとも、互いの気配や表情から理解し合う力が育つ。
沈黙の中で交わされる心のやり取りは、言葉よりも豊かで微細かもしれない。

でも、言葉がなかったら、物語も歴史も、知識も、ほとんど残らない。
人々は一瞬一瞬を生きることしかできなくなるだろう。
それは自由かもしれないし、孤独かもしれない。

言葉の消えた世界は、静かで美しいかもしれない。
しかし、私たちが言葉を紡ぐことで生きてきた意味も、静かに消えていく。

だから、今日も私は、声に出して、文字にして、誰かに伝えようと思う。
言葉があるということだけでも、奇跡なのだから。

もしも時間が逆に流れたら

目を覚ますと、昨日の出来事がまだ先にあるような気がした。
時計の針は戻り、街の音も、車の走る方向も逆になる。
人々は言葉を飲み込み、笑いを戻していく。

壊れたコップが空中で元に戻り、こぼれた水は元の瓶に戻る。
書いた手紙は消え、受け取る前の状態に戻っていく。
過ぎ去った記憶も、少しずつ霧の中に消えていくようだ。

もし時間が逆に流れる世界では、僕たちは「終わり」を恐れなくてもいいのだろうか。
失敗も傷も、ただ元に戻されるだけの景色の一部。
でも、逆行する世界で、初めて出会った人の笑顔も、愛しい瞬間も、やっぱり同じように輝くだろうか。

逆に流れる時間の中で、僕は今日をどう生きるのだろう。
すべてが戻るなら、後悔も恐れも意味を失うのかもしれない。
それでも、ほんの一瞬の選択が、また未来の記憶として重なる。

時間が逆に流れる世界。
過去も未来も、ただひとつの線の上で踊っている。
僕はその流れに身を任せ、もう一度、歩き直すしかないのだろう。