もしも、神聖な山への入り口があったら。
それはきっと、町のはずれや、森の奥に、ひっそりと立っているのだと思います。
誰かが大きな声で案内してくれるわけでもなく、看板が目立っているわけでもない。
ただ、静かな空気の中に、大きな赤い鳥居が立っている。
その赤は、派手な色ではなく、長い時間を受け止めてきたような深い赤。
雨の日も、風の日も、朝日も夕暮れも見てきたような、少し重みのある赤です。
鳥居の前に立つと、なぜか声を小さくしたくなる。
ここから先は、ふつうの道ではない。
そんな気配が、言葉より先に伝わってくる気がします。
鳥居の向こうには、山の上へ続く長い石段がありました。
一段、一段、苔のついた古い階段。
両側には背の高い木々が並び、枝葉のすき間から、やわらかな光がこぼれています。
階段の先は、上へ行くほど少しずつ霧に包まれていて、どこまで続いているのかは見えません。
けれど、不思議と怖くはない。
むしろ、心の中のざわざわしたものが、少しずつ静かになっていくような場所です。
鳥居をくぐる前と、くぐった後では、空気が少し違う。
足音が小さく響いて、風の音が近くなる。
木の葉が揺れる音や、遠くで鳴く鳥の声まで、なぜかはっきり聞こえる。
まるで山そのものが、こちらを見ているような気がします。
神聖な山というのは、特別な力を見せつける場所ではないのかもしれません。
ただ、そこに入る人の心を、少しだけ正直にしてしまう場所。
急いでいた足をゆっくりにして、余計な考えをひとつずつ置いていかせる場所。
そんな山への入り口が、本当にどこかにあったら。
私はたぶん、鳥居の前でしばらく立ち止まると思います。
すぐにはくぐらず、赤い鳥居を見上げて、山へ続く階段の先を眺める。
そして、少しだけ深呼吸をしてから、一段目に足をのせる。
その先に何があるのかは、わからない。
でも、わからないからこそ、神聖に見えるのかもしれません。
大きな赤い鳥居。
山の上へ続く古い階段。
木々に包まれた静かな道。
もしも神聖な山への入り口があったら、
そこはきっと、何かを叶える場所ではなく、
忘れていた心をそっと取り戻す場所なのだと思います。
ここまで読んでくれて、ありがとうございます
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