夜の神社って、どうしてあんなに静かなんだろう。
昼間は人の気配や風の音で満ちているのに、夜になると、
まるで世界そのものが一歩引いたような空気になる。
足音ひとつでも響いてしまいそうで、自然と呼吸まで浅くなる。
そんな場所に、もし――
九尾の狐が現れたら。
ある夜、ふと思い立って、近所の神社へ向かった。
理由は特にない。ただ、なんとなく「呼ばれている気がした」だけだ。
鳥居をくぐった瞬間、空気が変わる。
ひんやりとした夜気の中に、わずかに甘いような、不思議な匂いが混じっていた。
境内は無人。
灯籠の明かりがぽつぽつと道を照らしている。
その奥、本殿の前に――
何かがいた。
最初は、大きな犬かと思った。
いや、違う。
月明かりに照らされたそれは、白い毛並みを持ち、
そして――尾が、ひとつじゃない。
ふわり、ふわりと揺れる尾は、数えるまでもなく異様だった。
一、二、三……と目で追ううちに、思考が止まる。
九つ。
九尾の狐。
その存在は、恐ろしいはずなのに、なぜか目を逸らせなかった。
むしろ、どこか懐かしさすら感じる。
狐はゆっくりとこちらを見た。
金色の瞳が、まっすぐにこちらを射抜く。
逃げたほうがいい――
頭ではわかっているのに、体は動かない。
すると、狐は一歩だけこちらに近づいた。
足音はしない。ただ、空気がわずかに揺れる。
そして、不思議なことに――
言葉はないのに、意味だけが流れ込んできた。
「怖いか」
声ではない。
でも、確かにそう問いかけられた気がした。
正直に言えば、怖い。
でも、それ以上に――知りたいと思った。
「少しだけ」
そう答えたつもりだった。声に出したかどうかもわからない。
狐は、ほんのわずかに目を細めた。
それは笑ったようにも見えたし、試されているようにも感じた。
その瞬間、九つの尾がふわりと広がる。
まるで光のように、柔らかく、ゆらゆらと揺れていた。
気づけば、境内の空気が変わっていた。
静寂はそのままなのに、どこか温かい。
「人は、忘れすぎる」
また、意味だけが届く。
「畏れも、祈りも、そして――自分自身も」
その言葉が、なぜか胸に残った。
何を忘れているのか、はっきりとはわからない。
でも、確かに何か大切なものを置いてきてしまったような感覚だけがある。
次の瞬間、風が吹いた。
ほんの一瞬、視界が揺れて――
気づけば、そこには何もいなかった。
九尾の狐も、あの気配も、すべて消えている。
ただ、境内には変わらず灯籠の明かり。
そして、夜の静けさだけが残っていた。
あれは夢だったのか。
それとも、ほんの一瞬だけ現実がずれたのか。
わからない。
でも、帰り道、なぜか少しだけ背筋が伸びていた。
そして、ほんの少しだけ、自分の内側を気にするようになった。
もしも神社に九尾の狐が現れたら――
それは恐ろしい存在ではなく、
「忘れていた何か」を、静かに思い出させてくる存在なのかもしれない。
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