もしも豊臣秀吉を神格化したら、
それは金色に輝く神様ではなく、
泥の中から立ち上がる神様になる気がします。
最初から高い場所にいた存在ではありません。
生まれた時から、すべてを持っていたわけでもありません。
むしろ、持っていないものの方が多かった人だと思います。
家柄も、地位も、武力も、後ろ盾も、
最初から十分にあったわけではない。
それでも豊臣秀吉は、
そこで終わらなかった。
笑われても、見下されても、
道がなくても、
自分で道を作っていった。
もし神格化するなら、
秀吉は「出世の神」だけでは足りない気がします。
もっと深いところにある、
折れない心の神様。
何度も踏まれて、
それでも立ち上がる人間の象徴。
そんな神様になるのではないかと思います。
戦国時代というのは、
才能だけで生き残れる時代ではなかったはずです。
運も必要だった。
人に好かれる力も必要だった。
相手の心を読む力も必要だった。
でも、それ以上に必要だったのは、
たぶん、すさまじい精神力だったと思います。
普通なら、途中で折れてしまう。
自分には無理だと諦める。
生まれが違うから仕方ないと思う。
上に行く人間は、最初から決まっているのだと受け入れる。
けれど秀吉は、
その壁を見上げながら、
どうすれば登れるのかを考え続けた人だったのかもしれません。
神格化された秀吉は、
豪華な城の奥に座っているだけでは似合いません。
むしろ、雨の中、
泥だらけの足で立っている姿が似合う気がします。
顔には笑みを浮かべている。
でも、その目の奥には、
誰にも見せなかった苦しさがある。
負けたくない。
見返したい。
ここで終わりたくない。
そんな感情をすべて飲み込みながら、
それでも前に進む。
豊臣秀吉のすごさは、
ただ天下人になったことだけではないと思います。
そこへ行くまでに、
心が折れなかったこと。
何度も現実にぶつかりながら、
それでも自分の可能性を捨てなかったこと。
人に笑われる場所から、
人に頭を下げられる場所まで登っていったこと。
そこに、普通の人間では届かないような、
異様な強さを感じます。
もし秀吉が神様になったなら、
その神社には、きれいな願いだけではなく、
悔しさを抱えた人が集まる気がします。
今の自分を変えたい人。
何度も失敗している人。
誰かに見下されたことがある人。
それでも、まだ終わりたくない人。
そういう人たちが、
秀吉の神前で静かに手を合わせる。
「もう少しだけ、折れずに進めますように」
そう願う場所になるのかもしれません。
神格化された豊臣秀吉は、
やさしいだけの神様ではないと思います。
楽に勝たせてくれる神様でもない。
ただ、転んだ人間に向かって、
笑いながらこう言うような気がします。
「まだ立てるやろ」
その言葉は、少し厳しい。
でも、不思議とあたたかい。
秀吉自身が、
そうやって何度も立ってきた人だからです。
もしも豊臣秀吉を神格化したら、
それは成功の神様というより、
執念の神様かもしれません。
泥の中でも笑う神。
見下された場所から空を見上げる神。
心が折れそうな人間の背中を、
もう一歩だけ前へ押す神。
天下人という言葉の奥には、
きっと、誰にも見えない孤独と努力があった。
だからこそ、
神になった秀吉は、
高い雲の上から人を見るのではなく、
地面に近い場所で、泥だらけの人間を見ている気がします。
そして、まだ立ち上がろうとしている人にだけ、
にやりと笑って、力を貸すのかもしれません。
ここまで読んでくれて、ありがとうございます
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