2026年6月12日金曜日
もしも山中鹿之助を神格化したら
もしも山中鹿之助を神格化したら。
その神は、勝利だけを司る神ではないと思う。
むしろ、負けてもなお立ち上がる者のそばにいる神。
願いが届かなくても、祈り続ける者の背中を、静かに見守る神。
山中鹿之助という名前には、どこか月の光が似合う。
明るい昼の武将ではなく、夜の山道を歩くような人。
敗れた城のあと、消えかけた火、遠くで鳴る風の音。
その中で、まだ旗を捨てない人の姿が浮かぶ。
神格化された鹿之助は、きっと大きな社に祀られている神ではない。
山奥の小さな祠。
苔のついた石段。
古びた木の鳥居。
誰かが忘れずに供えた一輪の花。
そんな場所に、静かに立っている気がする。
鎧は派手ではなく、傷だらけ。
けれど、その傷はみすぼらしさではなく、願い続けた証に見える。
兜の奥の目は、怒りよりも深い。
悲しみよりも強い。
何度折られても、まだ折れないものを知っている目。
山中鹿之助といえば、尼子再興への願いが思い浮かぶ。
失われた家をもう一度立て直そうとした武将。
届かないかもしれない願いに、それでも命をかけた人。
だから神になった鹿之助は、成功した者だけの味方ではない。
夢の途中でつまずいた人。
何度やっても報われない人。
もう無理だと思いながら、それでも少しだけ前を見たい人。
そういう人のそばに現れる神だと思う。
夜空には、細い月が浮かんでいる。
その月へ向かって、鹿之助は静かに祈る。
「我に七難八苦を与えたまえ」
その言葉は、ただ苦しみを求めるものではない。
たとえ苦しみが来ても、逃げずに受け止める。
たとえ道が険しくても、願いを捨てない。
そんな覚悟の言葉に聞こえる。
もしも鹿之助が神なら、きっと願いを簡単には叶えてくれない。
その代わり、立ち上がる力をくれる。
もう一度だけ歩こうと思える気持ちをくれる。
涙をぬぐって、前を見るための静かな強さをくれる。
戦国の世には、勝った者の名前が大きく残る。
城を手に入れた者。
天下に近づいた者。
時代を動かした者。
けれど、負けてもなお美しく残る名前もある。
山中鹿之助は、その一人だと思う。
勝てなかったからこそ、消えなかったものがある。
届かなかったからこそ、胸に残る願いがある。
もしも山中鹿之助を神格化したら。
それは、敗北の神ではない。
未練の神でもない。
何度倒れても、心の中の旗だけは降ろさない神。
月明かりの下、傷だらけの鎧で立ち続ける神。
その神はきっと、今日もどこかの山の奥で、静かに人の願いを聞いている。
叶うかどうかではなく。
それでも願い続けることに、意味があるのだと教えるために。
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