2026年6月26日金曜日
もしも世界がプログラムでできていたら
もしも世界がプログラムでできていたら、私たちが見ている空も、街も、風の音も、すべて何かのコードで動いているのかもしれません。
朝になると太陽が昇り、夜になると月が出る。
それは自然の流れのように見えて、実はどこかに書かれた命令が、静かに実行されているだけだったとしたら。
雨が降る日も、風が強い日も、道ばたの花が咲くタイミングも、偶然ではなく、細かく組まれたプログラムの一部なのかもしれません。
人と人が出会うことも、何気なく開いたページに心を動かされることも、たまたまのようでいて、実は目に見えない処理の結果だった。
そう考えると、少し不思議で、少し怖くなります。
もし世界がプログラムなら、私たちの気持ちもコードでできているのでしょうか。
嬉しいと感じること。
悲しいと感じること。
なぜか昔のことを思い出す瞬間。
何もないのに、ふと胸が静かになる時間。
それらも全部、心の中で走っている小さな命令だとしたら、私たちは自由に生きていると言えるのでしょうか。
けれど、たとえ世界がプログラムだったとしても、目の前の景色が美しいことに変わりはありません。
夕焼けの色が少しずつ変わること。
雨上がりの道路に光が反射すること。
黒猫がこちらを見て、何も言わずに通りすぎること。
それがプログラムで作られたものだとしても、その瞬間に心が動いたなら、それは本物なのだと思います。
もしかすると、この世界にはときどき小さなバグが起きているのかもしれません。
見たはずの夢を思い出せないこと。
初めて来た場所なのに、なぜか懐かしく感じること。
同じ数字を何度も見かけること。
偶然とは言い切れないような出来事に出会うこと。
それらは、世界のプログラムが少しだけゆらいだ跡なのかもしれません。
でも、そのゆらぎがあるからこそ、世界はただの機械ではなく、物語のある場所に見えるのだと思います。
完璧に決められた世界より、少しだけ予想外のことが起きる世界のほうが、人は心を動かされます。
もし世界がプログラムでできていたとしても、私たちはその中で笑い、迷い、悩み、何かを選びながら生きています。
その選択が本当に自由なのか、最初から決まっていたことなのかは分かりません。
けれど、今日の空を見上げてきれいだと思った気持ちまで、偽物だとは思いたくありません。
世界の裏側にコードが流れていたとしても、私たちの一日はちゃんと続いていきます。
朝の光を浴びて、誰かの言葉に少し救われて、夜にはまた静かに眠る。
その何気ない日常こそが、この世界で一番大切なプログラムなのかもしれません。
もしも世界がプログラムでできていたら。
それでも私は、画面の向こう側にあるようなこの世界を、今日も少しだけ信じてみたいと思います。
ここまで読んでくれて、ありがとうございます
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