2026年6月10日水曜日

もしも世界で最後の1人の人間になったら

もしも世界で最後の1人の人間になったら

朝、目が覚めても、誰の声もしない。

窓の外には、いつもと同じように空があり、雲が流れ、風が吹いている。

けれど、世界から人間だけが消えていた。

もしも世界で最後の1人の人間になったら。

最初に感じるのは、自由ではなく、静けさかもしれない。

誰にも怒られない。

誰にも急かされない。

仕事も、学校も、約束も、電話も、メールもない。

好きな場所へ行ける。

好きなものを持っていける。

誰にも気を使わなくていい。

それは一瞬だけ、夢のように思えるかもしれない。

でも、その自由は、すぐに重くなる。

コンビニの自動ドアは開いても、「いらっしゃいませ」は聞こえない。

駅に行っても、電車は来ない。

道路には車が残っているのに、運転する人はいない。

ビルの窓には朝日が反射しているのに、その中で働く人はいない。

世界は壊れていない。

ただ、人の気配だけが抜け落ちている。

それが、たぶん一番こわい。


最初のうちは、生きるためのことを考えると思う。

食べ物を探す。

水を確保する。

安全に眠れる場所を探す。

電気がいつまで使えるのか。

水道がいつ止まるのか。

病気になったらどうするのか。

そんな現実的な問題が、次々と目の前に出てくる。

人がいない世界は、静かで自由な世界ではない。

自分ひとりで、すべてを考えなければいけない世界だ。

誰かに聞くこともできない。

誰かに助けを求めることもできない。

失敗しても、誰も気づいてくれない。

生きるということが、こんなにも人に支えられていたのかと、その時になって初めて気づくのかもしれない。


そして、もっとつらいのは寂しさだと思う。

おいしいものを見つけても、「おいしい」と言う相手がいない。

きれいな夕焼けを見ても、「きれいだね」と言う相手がいない。

怖い夜が来ても、「怖い」と言える相手がいない。

人間は、ひとりでも生きられるようで、本当は誰かに届く言葉を探して生きている。

話す相手がいない世界では、言葉は少しずつ意味を失っていく。

笑うことも、怒ることも、泣くことも、誰にも届かない。

その時、人は自分が「世界にいる」のではなく、「世界に取り残された」のだと感じるのかもしれない。


世界で最後の1人になったら、きっと過去の音を探す。

誰かが使っていた机。

誰かが住んでいた部屋。

誰かが残したメモ。

開いたままの本。

途中で止まったカレンダー。

人がいた証拠を見つけるたびに、少し安心して、少し苦しくなる。

ここに誰かがいた。

ここで誰かが笑っていた。

ここで誰かが明日を待っていた。

その跡だけが、静かな世界に残っている。


それでも、人は何かを残そうとする気がする。

日記を書くかもしれない。

壁に文字を残すかもしれない。

誰も読まないと分かっていても、今日見た空の色を書くかもしれない。

「今日は雨だった」

「まだ生きている」

「誰かがいたことを忘れたくない」

そんな言葉を、未来の誰かに向けて残す。

たとえ、その誰かがいなくても。


世界で最後の1人の人間になるというのは、すべてを手に入れることではない。

すべてを失ったあとで、それでも何を大切にするのかを問われることだと思う。

お金も、地位も、見栄も、競争も、意味をなくす。

残るのは、空腹と眠気と恐怖。

そして、誰かに会いたいという気持ち。

普段は面倒に感じる会話。

何気ないあいさつ。

すれ違う人の声。

そういう小さなものが、本当は世界を世界らしくしていたのかもしれない。


もしも世界で最後の1人の人間になったら。

たぶん、人は初めて知る。

自分がひとりで生きていたのではなく、誰かの気配の中で生きていたことを。

何も起きない朝が、どれだけありがたかったのかを。

誰かと同じ時代にいることが、どれだけ奇跡だったのかを。

静まり返った世界の中で、最後の1人は今日も歩く。

誰もいない街を。

誰もいない道を。

それでも、どこかにまだ人のぬくもりが残っている気がして。

誰にも届かない「おはよう」を、小さくつぶやきながら。


ここまで読んでくれて、ありがとうございます

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