朝、目が覚めても、誰の声もしない。
窓の外には、いつもと同じように空があり、雲が流れ、風が吹いている。
けれど、世界から人間だけが消えていた。
もしも世界で最後の1人の人間になったら。
最初に感じるのは、自由ではなく、静けさかもしれない。
誰にも怒られない。
誰にも急かされない。
仕事も、学校も、約束も、電話も、メールもない。
好きな場所へ行ける。
好きなものを持っていける。
誰にも気を使わなくていい。
それは一瞬だけ、夢のように思えるかもしれない。
でも、その自由は、すぐに重くなる。
コンビニの自動ドアは開いても、「いらっしゃいませ」は聞こえない。
駅に行っても、電車は来ない。
道路には車が残っているのに、運転する人はいない。
ビルの窓には朝日が反射しているのに、その中で働く人はいない。
世界は壊れていない。
ただ、人の気配だけが抜け落ちている。
それが、たぶん一番こわい。
最初のうちは、生きるためのことを考えると思う。
食べ物を探す。
水を確保する。
安全に眠れる場所を探す。
電気がいつまで使えるのか。
水道がいつ止まるのか。
病気になったらどうするのか。
そんな現実的な問題が、次々と目の前に出てくる。
人がいない世界は、静かで自由な世界ではない。
自分ひとりで、すべてを考えなければいけない世界だ。
誰かに聞くこともできない。
誰かに助けを求めることもできない。
失敗しても、誰も気づいてくれない。
生きるということが、こんなにも人に支えられていたのかと、その時になって初めて気づくのかもしれない。
そして、もっとつらいのは寂しさだと思う。
おいしいものを見つけても、「おいしい」と言う相手がいない。
きれいな夕焼けを見ても、「きれいだね」と言う相手がいない。
怖い夜が来ても、「怖い」と言える相手がいない。
人間は、ひとりでも生きられるようで、本当は誰かに届く言葉を探して生きている。
話す相手がいない世界では、言葉は少しずつ意味を失っていく。
笑うことも、怒ることも、泣くことも、誰にも届かない。
その時、人は自分が「世界にいる」のではなく、「世界に取り残された」のだと感じるのかもしれない。
世界で最後の1人になったら、きっと過去の音を探す。
誰かが使っていた机。
誰かが住んでいた部屋。
誰かが残したメモ。
開いたままの本。
途中で止まったカレンダー。
人がいた証拠を見つけるたびに、少し安心して、少し苦しくなる。
ここに誰かがいた。
ここで誰かが笑っていた。
ここで誰かが明日を待っていた。
その跡だけが、静かな世界に残っている。
それでも、人は何かを残そうとする気がする。
日記を書くかもしれない。
壁に文字を残すかもしれない。
誰も読まないと分かっていても、今日見た空の色を書くかもしれない。
「今日は雨だった」
「まだ生きている」
「誰かがいたことを忘れたくない」
そんな言葉を、未来の誰かに向けて残す。
たとえ、その誰かがいなくても。
世界で最後の1人の人間になるというのは、すべてを手に入れることではない。
すべてを失ったあとで、それでも何を大切にするのかを問われることだと思う。
お金も、地位も、見栄も、競争も、意味をなくす。
残るのは、空腹と眠気と恐怖。
そして、誰かに会いたいという気持ち。
普段は面倒に感じる会話。
何気ないあいさつ。
すれ違う人の声。
そういう小さなものが、本当は世界を世界らしくしていたのかもしれない。
もしも世界で最後の1人の人間になったら。
たぶん、人は初めて知る。
自分がひとりで生きていたのではなく、誰かの気配の中で生きていたことを。
何も起きない朝が、どれだけありがたかったのかを。
誰かと同じ時代にいることが、どれだけ奇跡だったのかを。
静まり返った世界の中で、最後の1人は今日も歩く。
誰もいない街を。
誰もいない道を。
それでも、どこかにまだ人のぬくもりが残っている気がして。
誰にも届かない「おはよう」を、小さくつぶやきながら。
ここまで読んでくれて、ありがとうございます
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