春。
桜は、何も知らない顔で咲く。
その下に並ぶ、二つの陣。
片や、甲斐の虎。
片や、越後の龍。
本来なら、幾度も刃を交えた宿敵同士。
それがなぜか、同じ場所で花見をすることになった。
——いや、花見と言っていいのかどうか。
風が吹く。
桜の花びらが、ひらりと舞う。
その美しさとは裏腹に、場の空気は凍りついていた。
酒は用意されている。
肴も並べられている。
だが、誰も手をつけない。
ただ、睨む。
ただ、探る。
一口飲めば、それが合図になるのではないか。
箸を動かせば、それが隙になるのではないか。
そんな疑念が、空気に満ちている。
「……見事な桜だ」
ぽつりと、どちらかが言った。
それは、褒め言葉のはずだった。
だが、その一言ですら、刃のように鋭く響く。
「……ああ」
短い返答。
それ以上、言葉は続かない。
沈黙。
風がまた吹く。
花びらが、二人の間に落ちる。
まるで、見えない境界線をなぞるように。
周囲の家臣たちも動かない。
笑う者など、もちろんいない。
花見とは、本来もっと穏やかなものだったはずだ。
だがここには、春の温もりはない。
あるのは、張り詰めた緊張と、わずかな均衡。
酒は、最後まで注がれないかもしれない。
いや——
もし注がれるとすれば、それは和解ではなく。
戦の前触れになるのかもしれない。
桜は、変わらず美しく散り続ける。
その下で、ただ静かに、
嵐の前のような時間だけが流れていた。
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