朝、目覚ましが鳴らない世界を想像してみる。
時間に追われず、満員電車に揺られることもなく、
「今日は何時からだっけ」と考える必要もない。
もしも本当に、働かなくてもいい世の中になったら。
きっと最初の数日は、祝日のように軽やかだろう。
平日の昼間に散歩をして、
カフェでゆっくり本を読み、
空がこんなに広かったのかと気づく。
でも、少し時間が経つと、
人はきっと問い始める。
自分は何のために起きるのだろう、と。
働くことは、生活のためだけではなく、
社会との接点だったのかもしれない。
誰かに必要とされる感覚や、
小さな達成感や、
「今日も終わった」という区切り。
それが消えたとき、
自由は本当に自由のままでいられるのだろうか。
もしかしたら人は、
結局なにかを始めるのだと思う。
畑を耕す人もいれば、
文章を書く人もいる。
楽器を触る人もいるし、
誰かの話をただ聞く人もいる。
義務ではなく、
自分の内側から湧いてくる衝動で。
働かなくてもいい世の中になったとしても、
人はきっと「何かをする」。
それはもう、仕事ではないのかもしれない。
けれど、誰かの役に立った瞬間、
それは名前を変えただけの“仕事”になるのだろう。
もしもそんな未来が来たら、
私はたぶん、
今日とあまり変わらず、
こうして文章を書いている気がする。
締め切りもなく、
評価もなく、
ただ、書きたいから書く。
それがいちばん豊かな働き方なのかもしれないと、
少しだけ思った夜だった。
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